1. 言葉・概念・事柄を区別する
🐫 ポイント
言葉の水準での問題、概念の水準での問題、事柄の水準での問題をそれぞれ区別する。
なぜそれらの区別が必要かというと、それをしないと議論や思考をする以前の段階で無用の混乱が起きるから。
この区別は、哲学者(少なくとも分析的伝統に属する現代の哲学者)であれば当たり前のように理解していることだろうが、他分野の研究者も含めた非哲学者にはあまり共有されていないように思われる。
※分析哲学にそういう常識が根付いているのは、ウィトゲンシュタインが『青色本』や『哲学探究』でそういう話を延々とした結果だと思われるが、ウィトゲンシュタインや言語哲学の文献を読まずとも現代の分析哲学の議論(形而上学であれ認識論であれ倫理学であれ美学であれ)に馴染んでいれば、言葉と概念に関する常識は自然にインストールされると思われる。
言葉・概念・事柄のざっくりとした特徴づけ
言葉:言語表現そのもの。例えば単語。
例:「猫」という語
概念:〈ああいうやつ〉という仕方で把握されるまとまりのこと。決まった言葉によって指されることが多い。
例:「猫」や"cat"という語で指されるところの〈ああいうやつ〉
事柄:〈ああいうやつ〉の実例。決まった言葉によって指されることが多い。
例:実際の猫
🐫 言葉の水準での問題
言葉の水準での問題の典型は、多義性(同じ語が異なる意味を持つ)の問題。その逆として、同義性(異なる語が同じ意味を持つ)の問題もある。
何かを考えたり論じたりする前に、ある言葉の意味(正確に言えば、ある言葉を何を指すのに使うかという用法)を整理する必要がある場合がしばしばある。多義的な言葉の場合はとりわけそうである。
「東山」という言葉を例に考えよう。
語「東山」は、京都に関する話題に限っても、複数の意味で使われうる。
(a) 東山連峰という意味での東山。大文字山が含まれるあれ。
(b) 京都市営地下鉄東西線の駅としての東山(地下鉄東山駅の範囲をどこからどこまでとするかはともかく)。
(c) 京都市の行政区のひとつとしての東山。ようするに東山区。
(d) 京都市内の道のひとつとしての東山。ようするに東山通り=東大路通り。交差点やバス停の名称に「東山」が使われるケースはだいたいこの意味である(東西線の東山駅の名称もそれに由来する)。
(e) 京都市内の大まかな地域としての東山。「東山文化」という言う場合の「東山」など。
(f) 他にもあるかも。
こういうのが多義性の例である。
会話がうまくいくケースでは、話者は文脈に即してどれかの意味で「東山」という語を使い、聞き手も文脈に即してそれがどの意味での「東山」であるかわかっているはずである。
一方、どの意味での用法であるかが聞き手に共有されていなければ、ディスコミュニケーションが起きる。
場合によっては「どの意味での「東山」の話をしてるの?」といった、言葉の用法を確定させるやりとりが必要になるかもしれない。
それと同じく、何かを考えたり論じたりする前に、言葉の用法の整理が必要になることがある。
🐫 概念の水準での問題
概念の水準での問題の典型は、概念共有の問題と定義の問題。
概念共有は、話し手が問題にしている概念を聞き手にも把握してもらうことである。これをうまくやるには、それなりのテクニックがいる。
定義の問題は、ある概念が厳密に言えば何なのか、正確にどうパラフレーズできるのか、それに含まれる範囲は正確にはどこまでか、といった問題である。
自分がぴんとこない概念に出会ったときに「定義」を求める人はなぜか多いが、概念の把握するのに定義はまったく必要ない。それどころか、ある種の定義(記述的定義など)は、概念を把握・共有してはじめて可能になるものである。
疑問に思う人は以下を読んでください。
https://slides.com/zmz/anaguma02#/32
概念共有の問題
他の人に概念を伝えるのに便利な方法は、特徴づけと例示である。
特徴づけ:〈だいたいこんな感じのもの〉という仕方で、その概念に当てはまる具体例の大まかな特徴を言語化する。
例示:その概念に当てはまる具体例を名指す。
〈東山連峰〉という概念の例で考えよう。
話し相手に「あなたが言う「東山」が東山連峰の意味なのはわかったけど、東山連峰って何?」と聞かれたとする。相手は、目下の文脈で語「東山」と語「東山連峰」が同義で使われていることまでは理解したが、〈東山連峰〉という概念にぴんと来ていないわけである。
そこで、特徴づけと例示の方法を使って、〈東山連峰〉という概念を把握してもらうことを試みる。
東山連峰の特徴づけの例:京都盆地の東側にある山並みだよ。大文字山とかが含まれるやつ。全部で三十六峰あるとか言われるよ。
※ちなみに、仮にこの特徴づけを定義として考えるとまったくのダメ定義である(反例が多すぎるから)。一方で、定義でないものを定義として解釈するのはダメ対話である。
東山連峰の例示の例:(京都市内から東の方角を見ながら指差して)あれだよ。山並みが見えるでしょ。
※わかりやすいように直示による例示の例にしたが、例示は直示である必要はない。
特徴づけと例示をどこまでやれば十分かはケースバイケース(あるいは聞き手の飲み込みの早さによる)だろうが、ある程度やれば、たいていのケースでは「ああ〈ああいうやつ〉のことね」という理解が得られるはずである。
逆にどれだけやっても無理な場合は、聞き手がその概念を把握できる魂のフェーズに達していないだけなので、概念共有はひとまず諦めたほうがよい。
※例えば、ビデオゲームを一度もやったことがない人に、〈ローグライト〉という概念を頑張って伝えようとしても無駄だろう。
定義の問題
定義と一口に言っても複数の種類があるが、ここでは記述的定義に限定する。
定義の種類については以下を参照。
https://slides.com/zmz/anaguma10#/7
定義は、ある概念に何が含まれ何が含まれないかを厳密に線引きをすること(外延の確定)、およびその概念に含まれるための厳密な条件を明確に示すこと(内包の明示)である。
東山連峰の例で考えると:
概念〈東山連峰〉に比叡山が含まれるか含まれないかを論じる場合、あるいはそれをはっきりさせるために〈東山連峰〉の必要十分条件を問う場合は、〈東山連峰〉の定義を問題にしていることになる。
〈東山連峰〉の厳密な線引きや必要十分条件をうんぬんしようとすれば、まずは〈東山連峰〉という概念がどんなものかを把握しておく必要がある。「東山連峰って何?」と言う人が〈東山連峰〉の定義を論じることは不可能である。つまり、ある概念の記述的定義は、その概念の把握を前提とする。
言葉と概念、概念共有と定義
ここで強調したいのは以下の2点:
①言葉の水準での問題と概念の水準での問題はまったく別物。
②概念共有の問題と定義の問題は、ともに概念の水準の問題ではあるが、互いに別物。
実際、多くのケースでは、それぞれの問題は切り分けて整理できる。場合によっては、両者がほとんど不可分に見えることもあるかもしれないが、そういうケースですら、問題の水準自体は別であり、それぞれ分けて整理することができるはずである。
🐫 事柄の水準での問題
事実としての物事そのものを問題にする水準。
当然ながら、事柄については、論じる視点が無数にありえる。なので、何が典型とかいう話はできない。
東山連峰の例で言えば、実際に存在する京都盆地の東側にある山々の連なりについて、いろいろな問題が考えられる。
例えば、その地質の成分がどうとか、成り立ちがどうとか、政治史上の役割がどうとか、景観がどうとか。
🐪 軽い確認の質疑
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